南部の都市の街角や盛り場にギターを持った黒人が登場し、嘆きのうた(ブルース)を歌って聴かせるという光景が多く見られるようになりました。19世紀を通して、人前で演奏される黒人たちの大衆音楽は、白人のそれと基本的に同じものでした。白人の芸人も黒人の芸人もバンジョーやギターやフィドルを持って、商業化する以前のカントリー音楽をやっていたわけです。公衆の集まる場において、黒人たちが、自らの音楽的アイデンティティを響かせるには、それに耳を傾けるリスナーが必要だったわけで、黒人自身がそのリスナーになりえなかった時代が続いたわけです。
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明治以降の日本人も、白人音楽の“支配”を受けたわけですが、民衆の暮らしの場では、盆踊りも獅子舞も生き続けてきましたし、きわめて洗練されたスタイルの伝統音楽がお稽古ごととして社会的価値を失わずにきました。お座敷での遊興文化も長く廃れず、ラジオやレコードの時代に入っても説教節、浪花節などが人気を保ち続けてきました。白人の文化的支配下にあった黒人コミュニティには、それらの文化制度がごっそり欠けていたわけです。才能豊かな歌い手も、早くは植民地時代から多数出たけれども、彼らは白人的歌唱法で白人的なうたを歌って喝采を受ける以外ありませんでした。